諫早城址を散策して
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最近、お天気に恵まれて、まさに雲一つ無い秋晴れが続いております。
1981年に脚本家、向田邦子プロデュース作品ドラマ、わが愛の城 落城記より の舞台になった山城だそうです。
さて、諫早の歴史を
島原方面を見ています
でもですね〜、朝夕が少し寒くなってきました。
話しは、横道になりますが、高くなったぁ
、秋の食材に欠かせない、庶民の味方

そう、サンマなんです、プリプリッとした、美味しそうなサンマさんが、なななんと、\250、少し小ぶりで、タイムサービスのサンマさんが、\150、はぁ、まだ一度も口にしていない、と言うか、余り見なくなりました。不漁続きなんですね
おまけに、だいこんも高い
、


すいません、全く関係お話しをしました

では、諫早公園の続きでございます
メガネ橋から少し歩いて、諫早城址の入り口へ
急な階段をえっちらおっちらと、道幅は徐々に狭くなり、正にプチ登山的な感じです

いや~きついですね
桜が満開、夕暮れ時で、
気味で、少し見づらいかと、

ひと息入れた後、さらに登ります
いや~階段は登りやすくなりました

諫早の歴史は古く、鎌倉時代の文書には、伊佐早と文字が出ているそうです
戦国時代、西郷尚善によって、統一され約100年間治められました、
天正15(1587年) 4代目信尚の時、豊臣秀吉の島津家攻略の命に背き、秀吉の怒りを買い、柳川の竜造寺家春によって、城を攻められ、敗走したのです。
二代目、竜造寺氏の時、姓を諫早とし、土地の名も同じく諫早としました。
江戸時代、佐賀藩、諫早領となりますが、明治維新まで、諫早家によって守られました。
天守閣跡でもある、山頂へ到着
150段を歩いてきました、疲れた

樹齢600年の楠木
余りにも、デカすぎて、
ベンチでひと息、お天気が良ければ、見事な風景が見れるのですが

諫早の行政の中心地、本諫早の街並みです
島原鉄道の本諫早駅を見ています
さて、お散歩中のワンちゃんにご挨拶して、下りましょう
微かに夕日が、本明川の対岸に鎮座されている、慶厳寺、
琴曲六段の調の発祥の地で、総ケヤキの造りの山門が見えてますね
2020年 4月3日 撮影
帰途は、道路沿いを歩いて、歩道が狭く、
がおおいですね

諫早神社を見ながら、諫早駅へ、
かもめ34号で博多まで
無事に帰ってきました、
と言う事で、4月3日の鉄旅は、終了でございます
更新がままならない、状態が続き申し訳御座いません

これからもよろしくお願いします
お暇なときでも、お立ち寄り下さいませ
次回は、4月4日の春の鉄旅、湯布院、東別府駅の満開の桜を予定しております
お楽しみにっっ

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[Tag] * 長崎の旅
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私も、パンフレットを見ながら、へ〜そうなんだぁと、思いながの散策でした。
長崎市や平戸市など、知名度は若干低い物の、歴史的には長い
桜見、来年は楽しめるでしょうね。
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